こんにちは、院長の平田です。

シルバーウィークも終わり9月も終盤戦に突入ですね。

お昼休みにちょっと外出したら、山口線の線路の周りがコスモスや赤い彼岸花に彩られてとっても綺麗でした。

まだ半袖のTシャツでうろちょろしている僕ですがそろそろ秋っぽいコーディネートをしないとですかね(笑)

今年は地物のマツタケが豊作とのこと。何回食べれますかね?

マツタケ以外にも秋の味覚はたくさんあるから楽しみですね。

もちろんお酒もうまい!!

って、春も夏も秋も冬も、いつもうまいけどね(笑)

 

さて、シルバーウィークの最終日は僕の休診日のお休みと重なり、久々の祝日のお休みとなり柳井市にプチダイビング遠征。

初日は周防大島沖に眠る「戦艦陸奥」ダイビング

 

 

 陸奥記念館 – Wikipedia

日本海軍の戦艦陸奥が1943年(昭和18年)6月8日に、旧東和町の沖、現在の記念館の沖合3kmで爆沈した。戦艦陸奥は建造時、世界最強の戦艦として41cm主砲を装備し、連合艦隊旗艦としても活躍したが、戦局に寄与することなく、瀬戸内海西部にて爆沈した。現在も爆沈の原因は謎とされているが、1970年から1978年にかけて深田サルベージによって船体の約75%が引き上げられ、多くの遺物・遺品、遺骨も引き上げられた。

 

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当日は曇りの予報だったけど晴天ベタなぎの柳井港を出港し、船は大畠瀬戸を広島方面に航行し大島大橋をくぐります。

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約1時間で「戦艦陸奥」の眠るポイントへ到着。

謎の爆発により沈没。乗員1474名のうち助かった人は353人ということで、死者のほとんどは溺死ではなく爆死であったとのことです。

火薬庫からの爆発との情報もありますが、あの大きな船体がアッという間に沈没しているんですね。どんなにすごい爆発が起きたのか想像もできません。

犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしながら潜ります。

 

船が沈んでいるのは海底40m付近、船体の一番浅いところにロープを結び、ロープ伝いに潜降していきます。

瀬戸内の海は透明度が良くないので5m、10mと潜降しても船体が見えてきません。

水深18m付近で突然大きな塊が目の前に飛び込んできました。  「戦艦陸奥」です。

といっても、ほんとに大きな塊で船の形には全く見えません。

だんだんと眼も慣れてきてライトを当てながらガイドさんについて船体を確認していきます。

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ちょっと恐怖を感じる暗さです・・・・・

船体にある四角い構造物や 窓と思われる丸い穴

 

白い食器があったり 、士官の使っていたトイレがあったり

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入っていくのが怖いよ~

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船のキールと呼ばれる部分だそうです。

ダイバーと比べると大きさがわかりますね。

 

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しかし、船底と思われる平らの所にはイソギンチャクがお花ばたけのように咲いています。

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戦後70年、静かに眠る「戦艦陸奥」

戦地には行っていないそうですが、この船で戦争の犠牲になった多くの人がいたことも事実です。

地球上では戦争がなくなったことがないんですよね。

日本では戦争が終わって70年間、平和の下で生活が営まれています。

平和が当たり前として僕も60年生きてきました。

これからも、平和であり続けてほしいと思います。

こんな悲惨な物を増やしてはいけないと強く思ったダイビングでした。

 

明日は「ニホンアワサンゴ」を見に行ってきます。